ドンクサック合唱団第3回自前音楽会

1995年3月18日(土) 練馬文化センター小ホール

第3回自前音楽会のパンフレット
開場 16:30/開演 17:00

第一部 「小曲集」
Funiculi-Funicula
 もともとは登山電車の宣伝用に作られた、世界一有名なCMソング。
Tom's gone to Hilo
 Sea Chanty(海の男たちの歌)の1曲。さわやかに、どこか郷愁を誘うようなメロディーが印象的である。これはイギリスのシーシャンティーで、冒頭にGentlyという指示がある。
Huszt(廃虚)Zoltan Kodaly(1882-1967)
 追憶に沈む憂国の士を亡霊が叱咤激励する、といった内容。月が静かに照る幻想的な雰囲気の中から、精悍な男らしさに満ちた音楽が立ち上がります。
Karadi Notak(コラーディ地方の歌)
 コダーイがバルトークとともにハンガリー・チェコ・ルーマニアなどの民謡を採取研究していたのは有名な話。コラーディ地方の小曲をつなぎ合わせて構成されているこの曲にも、研究成果が活かされています。
第二部 「魅惑のAFRO-WORLD」
編曲・指揮:佐土原陽二
 ある日のことです。
 「最近、男声合唱もレパートリーが煮詰まっちゃってちょっとつまんないねぇ。」
 「とにかく、ノリノリでなんか新しいのやりたいのー。」
 ドンクサックの誰ともなくそんな言葉が出ました。
 「じゃあ何かつくったら?」
 というわけで企画されたのが、この小ステージです。
 もちろん、何かをつくるといっても、「歌詞を考えて、曲をのせて」なんて大それた事はできないので、とりあえず好きな曲を男声合唱用にアレンジしてみようという事になりました。ここに「やるんだったらBLACK系がいい。」という編曲者の好みが加わり、この目論みは動き始めたのです。
  1. LET'S GROOVE ~EARTH, WIND & FIRE ~
    木曜日のとんねるずを見ていると、最近「ソウルとんねるず」のコーナーが復活して、私のような30歳前後の人間には懐かしいやら、うれしいやら、はずかしいやらで……。この曲も当時のディスコブームに乗って、ヒットしました。イントロのボコーダーが印象的な曲です。
  2. SING A SIMPLE SONG ~SLY & THE FAMILY STONE~
    FAMILY STONEというくらいですから、現曲は女の人の声あり、男の人の声あり、とにかくにぎやかな曲なのですが、残念ながら我々は全員戸籍上「男」なので、編曲には苦労しました。"SIMPLE SONG"なのに……。1曲目が"LETS' GROOVE"ならば、この曲は"LET'S FUNKY"といったところでしょうか。大切なのはSIMPLEな歌をうたうことです。
  3. SOMETIME I FEEL LIKE A MOTHERLESS CHILD (NIGRO SPIRITUAL)
        Sometimes I feel like a motherless child,
                            Alogn ways from home.
        Sometimes I feel like I'd never been born,
                            Along ways from home.
        Sometimes I feel like I'm almost gone,
                            Along ways from home.
    
    訳詩を書くのは野暮でしょう。Fenno Heath版でお楽しみください。
  4. EV'RY TIME I FEEL THE SPIRIT (NIGRO SPIRITUAL)
    3曲目、4曲目とも"NIGRO SPIRITUAL"と呼ばれるもので、日本語では「黒人霊歌」と訳されています。アフリカ大陸から奴隷としてアメリカにつれてこられたAfroたち。彼らの想像を絶する苦しみや悲しみがやがてキリスト教会音楽と出合い、彼らの持つ独特のリズム感と融け合い、これらの曲は生まれました。その根底をなす思想は「早く死んで天国に行って、神の下で暮らそう」というものです。ですから、明るい曲調のものでもそれは決して単純に喜びの歌というわけではないのです。いわば黒人のための賛美歌ともいえるでしょう。(佐土原陽二)
第三部 男声合唱と噺家のための「花筏」 (噺・指導 立川志雲さん)
 今回ドン・クサック合唱団のM氏の甘言に惑わされ、合唱と落語のセッションの内、落語のパートを引き受けるはめになりました立川志雲という落語家でございます。断っておきますが、決して悪気があって出てきたわけではございません。
 あぁーなんてこんな疲れることやらんならんねやろ……とトホホな気分はえぇい!ままよ!!と力まかせのヤケクソ気味に蹴散らしまして、ここはひとまず、合唱と落語という二つの芸術を大局的にとらえてみましょう。
 そもそも、唄うという行為と喋るという行為は少なからず共通性のあるものです。まず第一に他人様(ひとさま)に聴いて頂くものであるということを主眼におかねばなりませんし、その他人様を酔わせ、笑わせ、泣かせ、歓喜せしむるためにはリズムとメロディーの絶妙にしてそれでいて確実な調和が双方共に必要不可欠でありましょう。余談ではありますが、他人様に聴かせるだけのリズムもメロディーも内容さえもまるっきり持ち合わせのない輩に限って異常に唄いたがったり、喋りたがったりするのはなぜなのでしょう。唄いたがり級(くらす)の第一位はジャイアンで、喋りたがり級の第一位はハマコーです。チャンピオンベルトは二本とも志茂田景樹の腰に巻きついております。
 まぁウダウダ話はさておきまして、合唱と落語、表面的な形態こそ全く似ても似つかぬ二人でございますが、一皮むけばなかなかどうして一心同体・以心伝心、将軍若松とストロングマシーンもかくやと思わせるタッグコンビではないかしらん。
 実のところを言いますと、今回のこの試みが成功するや否や、オモロいかオモロないかと楽しみにしているのは演者の私とて同じことであります。さてさてどこまで喜んで頂けますことやら。
 私個人のはなはだ希望的な今後を述べさせて頂きますと、今回のこのドン・クサック合唱団との試みで大成功を収め、次回は魅惑の花園女学生コーラス部の皆様と融合し、そしてゆくゆくは夢の桃源郷宝塚歌劇団合唱隊との大酒池肉林パーティーへと続いてゆくのであります。
 さぁ今日一日このライヴを楽しみに来たあなたのために、ひいては合唱と落語の新たなる可能性のために、そして何より私と宝塚美女達(ヅカガール)との健全なる将来のために、何卒よろしくお楽しみのほどお願い申し上げます。
第四部 「縄文ラプソディー」 指揮:永島健一 ピアノ:西川秀人
 縄文時代は、狩猟採集を営み、文字を持たず、縄の文様の付いた土器を作る原始人が生きていた時代、と認識されている。歴史の教科書に載っていた宇宙服のようなものを纏った土偶(遮光器土偶という)を覚えておられる方もいらっしゃると思う。研究が進み、歴史の空白は次々と埋められ、記録・情報・知識として蓄えられていく。
 芸術として縄文を捉えたらどうであろうか。例えば遮光器土遇の異様に大きく丸い目に、中央に水平に引かれた一本の線。あれは生きているのに死んでいる。死んでいるのに生きている。生と死の同時共存……。
 詩人・宗左近氏は、現代に縄文を蘇らせ、重ね合わせる。生きているのに死んでいる“おれたち”、死んでいるのに生きている“きみたち”。氏は、縄文の詩を書き続け、縄文を語り続ける。氏の原体験(=戦争体験)が力を与えているのは確かである。しかし、それだけではない。なにかがあることも間違いない。そうでなければ、戦争体験を持たない作曲家・荻久保和明氏が、異常なほどの情熱を持って、縄文の曲を書き続けるはずはない。何かを感じるからこそ、「縄文」、「花祭り縄文」、「縄文・愛」、そして「縄文ラプソディー」は生み出された。難解で、しかし純粋な名曲だと思う。演奏するのは至難の技だが、今宵ご来場の皆様に、何かを感じて頂ければ幸いである。
 「縄文の芸術は激烈(いきどおり)と静寂(優しさ)の相克の動力学である。その相克は渦を巻いて螺旋運動を起こし、おのれ自身を宙空に吊り上げようとする。そこには非日常的超越性が沸騰している。」(宗左近「縄文発進」より抜粋)
第五部 「美しく碧きドナウ」:Johann Strauss II
 オーケストラの演奏で広く親しまれているこの曲が、もともと男声合唱用に作曲されたことはあまり知られていません。
 ウィーン男声合唱協会の指揮者と親友だったヨハン・シュトラウス二世は、男声合唱のために9曲のワルツやポルカを作曲しました。この貴重なレパートリーを生んでくれた友情に感謝!

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