定価150円 編集人:松田 仁
目次
さようなら1995年、ようこそ1996年
ドンクリ 報告
練習参加状況
練習参加状況について ~バリトンの危機~ 新入団員情報
突然広告「なにわコラリアーズ in TAKARAZUKA '96」
団員情報
編集後記
Don Kusak のみなさん!'95年は素晴らしい年でしたね。95年は阪神大震災、 サリン事件と忌まわしい出来事からスタートしましたが、Don Kusak のメンバー は幸いにして、たいした被害もなく(と思われる)、無事に第3回自前音楽会、 東京都合唱祭、コンクールと演奏会を終えることが出来ました。特にコンクー ルに関しては東京都大会前には全く練習にならなかった日があったのが嘘のよ うな出来で全国大会へ出場、全国大会でも金賞・日本放送協会賞受賞とまさに でき過ぎの結果が残せた、と思います。
全国大会後の練習でも心配された出席率もそれほど大幅には低下せず(もち ろんひどい時もありましたが)、さらに力強い新入団員も加わり、快調に進ん でおります。この好調さを持続し、来年(ひょっとして今年?)の更なる躍進 へと繋げましょう。
え!ドンクサックもまさか5年目を迎えてしまぅんですね。と、偉い人に原 稿をたのみ忘れた編集長の独白です。(by仁)
DON KUSAK クリスマス略してドンクリ(「え、ドンクリ合唱団っていうんで すか?かわいいですね」と、じゃんけん大会で準優勝に終わった“つきちゃん” (本名わすれたゴメン)というほど定着してきましたよ、この行事も)が本年 も Top 中村哲郎“まめな”幹事によって盛大に開かれました。今年のドンク リは哲郎幹事の予想をはるかに上回る50人以上の参加者が集まり、会場“Zaza” に追加注文をした程でした。いやぁこんなところにも今年のDon Kusak の快調 さがあらわれていますねぇ。
パーティ自体は今年は“歌”中心で行こうと言う幹事の方針の元(ちょっと ゲームネタを探すのをサボッたか?)、練習を重ねた 2 組のカルテット (Baritone津久井幹事長におかれては 2 組とも参加、いやさすがですわ)と 1 組の飛び入りカルテット(往年のマリオン前での合唱をほうふつとさせる若 いメンバー)、そして Bass 三枝氏による「ホワイトクリスマス」の独唱(ア カペラ)が炸裂しました。そこへ練習には参加できなかったが、ドンクリには 遅刻してきた、青山学院のみなさんがエールを歌ったからもう大変、同志社カ レソン、関西学院の「A Song for KWANSEI」、なぜか「オレーグ公の歌」など 飛び出し、歌ずくめの時間がすぎていき、最後には会場の全員で「きよしこの 夜」の合唱、このドンクリのために練習した「O Holy Night」の合唱と続き、 シャンシャンと幕を閉じました。(それでも歌い足りなかったというTop 三木 氏、岸間氏はすごい)
準備から当日の司会、会計まで全て取り仕切って下さいました哲郎幹事、本 当にありがとうございます。また来年もよろしく!!
P.S.ドンクリだけでなく練習にも参加するように!(by Bass 永島監督の乾 杯の挨拶より)
P.S.2 Top 早武さんは2次会において、けものとなったBaritone 松井会長 に噛みつかれ、歯形が残ってしまい、月曜日会社で大笑いされたそうです。ご 愁傷さまでした。(編注:早武氏は、 高松でのイカ踊りで有名。剃髪しているため、歯形がマル見えだったはず。 ぷぷっ)
日付 | Top | Lead | Baritone | Bass | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
12/9 | 7(6) | 10(7) | 3(3) | 10(8) | 新入団:2名! |
12/16 | 2(1) | 6(4) | 2(0) | 4(3) | 同志社メサイア演奏会とバッティング |
12/23 | 7(5) | 6(4) | 4(3) | 7(4) | ドンクリ参加人数はもっと多いけど |
これまで幾多のパート崩壊の危機を乗り越えてきた Don Kusak 合唱団であ るが、今年はついに、と言うべきか、いよいよ、というべきかバリトン崩壊の 危機がやってきてしまった。
忘れもしない Don Kusak 第 1 回自前音楽会前の合宿において当時会計その 他の役職をこなしていた、Bass 鎌田氏(現在、九州支部・西日本新聞勤務) による“ダイニ絶滅の危機”と題された、ドンクサックニュース海賊版が発行 (ちなみに当時は不定期発行)され、全然練習に来ないセカンドテノールの面々 の生息が“トキ”に例えられた。まぁそこで“セカンド”という名がイメージ が悪いと言うことで今の“リードテノール”が正式名称として定着した(発案 は当時の音楽監督の田中・杉原両氏と思われる)まぁ、ネーミングそして、そ の後いささか強引なパート分け(Lead 川本氏などは学生時代は Top であった 等など)により、いつしか最大派閥を誇るかのようになった。
しかし、実は当時絶滅の危機にさらされていたのは“セカンド”だけでなく “トップ”の存在も怪しくて筆者は第 1 回自前音楽会のゲネプロの日、Top が哲郎氏一人しかおらず“月光とピエロ(指揮:Bass永島氏)”が練習になら なかった、と記憶している。
続いての危機は Bass に訪れる。第 2 回自前音楽会前の練習では橋爪氏、 永島氏、仁の3名しか練習に現れず、永島監督が指揮棒をとると、歌い手は 2 人で、しかも“聞えやしねぇ”状態が一時期あった。この事態は、鈴木健司氏 の九州よりの出張、Baritone 松井会長の Bass への移籍等により、大きな被 害は発生しなかったと思われる(思いたい)。
しかし、今回の Baritoneの危機は中々根が深そうです、前述の Lead 及び Bassは指揮者を擁するパートであり、人数自体はそろっているケースもあった。 ですが、松井会長の放出、松崎氏・竹内氏というまじめに練習に出ておられた 方の修行の為の休団もあって今回のバリトンは本当に人がいません。コンクー ル前の公式録画練習時も津久井幹事長のみの出席でビデオは“ボツ”になるし、 もうこれは本当にやばいです、こうなれば懸賞金をかけてツチノコでも探すつ もりで・・・・・・・ (文責:仁)
昭和3年、長崎県佐世保市の出身。太平洋戦争時には予科練ではあるが従軍経 験を持っている氏は、今迄同世代の集合体であった我々にとって、貴重な先達 となるであろう。現在、埼玉県上尾市に居を構える氏は、すでに永年に亘り勤 続してきたドイツの製薬会社「メルク」を定年退職し、現在は築地本願寺に日 参し、寺院の庶務を与る悠々自適の生活を送っている。
若かりし頃より「うたうこと」を愛好してきた氏は、「東京男声合唱団」 「東京コラリアーズ」「東京リーダーターフェル」という著名団体で数々の名 指揮者達とステージを共有してきた。その歩みは戦後男声合唱史そのままの歩 みであった。
その氏が、今春の自前演奏会、そして高松における演奏を聞き、我々に関心 を持ち、晴れて入団となった。まさに戦後 50 年である今年の締めくくりに相 応しい人材の入団である。氏の許を訪ねれば、今後我々の人生にとって示唆に 富んだ話も聞ける筈。幸いな事に、ウィークデーの昼間、築地本願寺を訪ねれ ば、氏は「般若湯」を用意して待ってくれているという。仕事なんかやってい る暇はない。
皆築地本願寺へ急げ!そして昼間っから飲んだくれろ!
(以上、Top 四宮氏による紹介文です)
まじめな紹介
第 3 回自前音楽会、コンクール全国大会(FM)を聞かれて感動されたそう です。「若い人に情熱では負けない」との力強いお言葉を入団時におしゃって いました。良識ある人の入団でますます Don Kusak も充実です。(そういえ ば津久井さんと同名だ!)
12/9 入団
山口高校から慶応義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団を 95 年に卒団。 現在は修行中。
ワグネル時代は Top のパートリーダーを務めた(119th)。Top 黒須氏が4 年のときの 1 年生で、今回氏の引きにより入団。本人曰く「ふつつかもので すがよろしく」とのことですが、大いに期待できる人材である。なお、現在の 立場は慶応義塾大学商学部 4 年生(!)ということで、学生時代最後の演奏 会を自前音楽会で締めくくるそうな。
12/9入団
1996年1月13日(土) 18:00 開場、18:30 開演もしも、関西方面へお出かけの機会のある方は是非おこしくださいませ。ち なみに、この合唱団、いい時と悪い時の差が激しいので、その辺はご容赦くだ さい。(^^;;;)
宝塚ベガホール(阪急宝塚線、清荒神駅下車後南へすぐ) 入場料\1000(自由 席)
指揮/伊東恵司
- ■日本の歌
- ■世界の歌
- ■リトル・コーラス等
お問い合わせ:なにわコラリアーズ事務局(矢野06-943-1149、木寺06-412-8864)
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プログラムが>■日本の歌>■世界の歌>■リトル・コーラス等ですか。・・・ うーん、何を演るのかよくわからない。もしかして、よくわからないのがミソ ですか?
それに、リトルコーラスちゅうのは、もしかして少人数アンサンブルのことで すか。でも、「なにこら」はもともと少人数アンサンブルだからなあ…って、 失礼しました。
いずれにせよ、1月13日はドンの練習だ(よね)から、行くのはむずかしいか なあ…とお茶を濁してしまった私でした。それではまた。(以上、元なにコラ Chairman:Top四宮)
このたび、わたくしこと須藤博史(Top)は、過日結婚式を挙げ、無事成田 の関門も突破し、新しく生活をはじめましたことご報告いたします。
当日の披露宴は、深松氏による名司会や中村吉宏氏(早稲グリH5卒)の楽 しいスピーチなど、たいへん和やかに行われました。(須藤氏の弟2人ともグ リ男【男声合唱経験者しかも二人とも川越高校卒】であることが判明、ちなみ に奥さんの名前は律子さん=早稲田大学混声合唱団出身、病院(名前忘れたゴ メン)で勤務 by披露宴司会の深松氏)
また、新婚旅行において、ドンクサックのロンドン支部長錦織氏(現在勤務 先である某O蔵省から留学中)にロンドンを案内していただき、錦織宅にも訪 問してきました。
錦織氏は大英博物館のすぐ近く(ロンドン大学のすぐ近くでもある)に住ん でおり、しかも由緒あるホテルのような歴史的建造物の高層部(7階/8階建) に部屋がありました。建物の内部は赤のじゅうたん張りで、エレベータのドア は格子状の手動開閉式の年代ものでした。ロンドンの不動産屋によると、この 建物はモダンだと案内されたそうですが、ロンドンでは20世紀に建てられた ものはすべて「モダン」と言うそうです。
それから以前の錦織レポートにもあったように、イギリスの飯のまずさにつ いてはさすがにまいりました。高級料理店では、名物のローストビーフだけは 非常においしかったのですが、付け合わせの野菜の量の多さやデザートの喉が 焼けるほどの甘さにはかなわず、ビーフ以外ほとんど食べれませんでした。ま た町中のレストランも大味な料理が多く、毎回食べるのに我慢できず、結局ピ ザハットで食事したりもしました。やはり錦織氏に差し入れを送るときは、日 本の食料を送るのが一番でしょう。(あと男性用雑誌も歓迎のようです)また、ロンドンでは錦織氏とともに「オペラ座の怪人」を鑑賞してまいりま した。日本でミュージカルをみにいくと、観客は若い女性が多いのですが、ロ ンドンでは家族づれやご老人もたいへん多かったようにおもいます。やはり本 場は客層も広いのでしょうか。
ともあれロンドン支部は健在で、元気にインチキ臭い英語をしゃべっており ました。
結婚後、まだまだ後片付けもままならない状況ですが、23日のパーティに は結婚相手もご紹介できると思います。
練習にもそろそろ復帰致します。休んだ間の分しかと巻き返しを図りたいと 思います。とりあえずご報告まで・・・
とまあこんな具合だそうです、てことは新春第一弾の「新婚家庭におじゃま さま!」は須藤家なのか??? 乞う御期待!